◇ 「笑学研究所」の客員研究員になった限りは・・・

今年の4月の下旬

追手門学院大学の「笑学研究所」の

客員研究員なるものに委嘱されました。研究員と言う肩書きを頂戴した限りは、やっぱり研究と言うものをしなければなりません。とは言うものの、これまでに存在したことなどない研究機関。さらに、こっちは研究などこれまで一切したことない、ただの素人。さて、どうしたものかと思っておりましたら、あるモノが届きました。

 

包みを開けてみると・・・DVDでした。

表には「コント」と書いてあります。

何かな?と、恐る恐る再生してみると、確かにそこでは3人組によるコントが繰り広げられているではありませんか?

「面白い」「面白くない」は、また改めてコメントさせていただくとして、まずは、そのタイトルに惹かれたのです。

「障害者雇用は前途多難」

場面は、面接試験での一コマ。

障害者枠で、社員を採用しようとしていたところに、スタスタと歩いてやってきた学生。それに対して、面接官がキレます。「何で車椅子でやってこないのだ!?」と。

この面接官は車椅子を押してみたかったのですね。一方、学生には「発達障害」がありましたが、見た目は健常者と変わらない。そこが、面接官は面白くない・・・

と言った、何ともまぁ、実に社会ネタで、かつコントとしては「扱いずらいネタ」だったのです。

さらに、出演者の3人は、実際に全員障害者と言うではありませんか!?二人は、本当に「発達障害」、一人は「精神障害」とのこと。障害者自らが、障害をネタに、笑いを取ろうと言うのです。果たしてその狙いは?と、疑問に思った瞬間に「これだ!」と直感したのです。「障害者と笑い」をテーマにすることで、何か「社会の歪」だとか、反対に「庶民の強さ」などを浮き彫りに出来るのではと。そこで、時間が許す限り、様々な障害者に話を聞いていこうと決めました。さてさて、この研究、果たしてどうなることでしょう??

◇ まずは、この方に訊いてみました。

元村祐子さん。

そうです!上のコントに面接官役として登場しているのが彼女です。「発達障害」があります。実際に彼女も就職に際しては苦労の連続でした。自らにこうした障害があることを気づかないうちは、「なぜ、こんなに職場に馴染めないんだろ?なぜ、こんなにイジメを受けねばならないんだろ?」と、実に10数回も転職を繰り返すことになります。それも致し方ありません。彼女の発達障害の特性は「もの忘れ」がひどかったり、「時間の感覚」が人と違っていたり、どうしても「パワーが全く出ない」日があったりすること。けれど、性格は明るく、お喋りも上手い。それだけに、職場では「サボっている」「手を抜いている」と批判されることが多かったのです。ようやく38歳の時に病院を訪れ「広汎性発達障害」との診断を受けます。これで元村さんは「楽になった」と言います。それまでの相次ぐ失敗は“どんくさい”からでも、自分の“努力不足”からもでない。私が悪かったからじゃない、と分かったからでした。

では、その後は順風満帆かと言うと、やはりそうではありません。多くの壁にもぶつかる。しかし、その思いを当事者同士が共有すれば、少しは苦しみや悲しみも軽減できるのではと、今では、発達障害当事者自助グループ「UnBlance」を立ち上げ、その代表を務められておられます。

まず、そんな彼女に、どうして「コント」に挑戦しようと思ったかを伺いました。

 

Q.なぜ、お笑いに挑戦してみようと思われたのですか?

 

難しい言葉を使って説明をして私たちの障害のことを分かってもらおうと言うのではなく、笑いながら学んでもらえたらと思ったんです。

「へぇ~面白いんや」「こんな人たちなんや」と理解してもらえたらと思って、コントをやったらどうかと思いました。

 

Q.しかし、自分の「あかんとこ」を笑いにすると言うのは、気になりませんか?

 

私は気になりません。むしろ、ネタにしてもらって、笑って流してもらえるほうが嬉しいですね。

私たちのことを何も知らないで、偏見を持たれるよりも、「この人たち面白いな」「抜けてるなぁ」と言う感覚で見てもらえるほうが安心出来ますよね。

 

Q.でも、やはり、障害を笑いにするのは難しくないですか?

 

確かにそうですね。けれど、私たちのように笑って欲しい人間もいるのです。

世間の人って、障害者がやってること、言ってることを笑ったらあかん、と思っている人が非常に多い。でも、中には私たちのように、笑って欲しい人もいるのです。笑って欲しいから、やっているのです。純粋に面白いときは、やっぱり笑って欲しいですよね。

それに・・・発達障害って、“ネタ満載”なんですよね。

私も、人生の失敗と言われるものは、もう一通りしてきています。そうしたことを苦にするのではなく、笑いに変えていければ面白いなぁと思っています。ですから、今後もドンドンやっていきたいです。

 

さて、ここまでなら、話は簡単です。

やはり「笑い」は全ての人々に「安心」を与えるものである。

笑いは障害者にとっても「万能薬」である、と結論付ければいいのですから。

しかし、そう単純なものはないのです。

再び、元村さんのお話です。

 

Q.当事者同士で、冗談を言い合う、なんてこともあるのですか?

 

もちろん、あります。

私たちだってウケたいですよ。特に、私たちには「大阪人の血」が流れているから。(笑)

但し・・・

 

Q.但し・・・何ですか?

 

但し、誰彼にするものではありません。やはり冗談が分からない人もいる。そうした人は、馬鹿にされたと思って傷つきます。そもそも、話の流れについていけないので、皆が笑っている意味が分からない。そう言う人も多いです。私たちには、そうした人だと分かるので、そう言う人たちには冗談は言いません。

 

Q.元村さんも、冗談が分からないときはありますか?

 

例えば、仕事場で不意に言われると、対応できないときはあります。

仕事場で冗談など言うはず、言われるはずなどないと勝手に思い込んでいるところがあって、「今夜残業ですよ」と急に言われると、一人であたふたして、パニックになって、慌てて用意したりして・・・しかし、周囲を見ると、皆笑ってる。皆に笑われていることに気が付いて「あぁ、冗談なんや」と分かって、私も、遅ればせながら笑うと言うことはありますね。

 

Q.でも、そうやって笑えるようになったのはいつからですか?

 

そうですね。大人になってから、ですね。

確かに、子どもの頃は凄く馬鹿にされているようで辛かったですね。

 

Q.あと、人って、ちょっとしたウソ、決して悪い意味ではないウソをつくことがありますよね。

 それは、どう感じてられるのでしょう?

 

ウソをつくことは全てダメだと信じている人も結構多いです。全くウソをつかない人も多いです。

ウソをつかない、ではなく、ウソがつけないと言ったほうがいいかも。ですから、お世辞も言えない。本当のことしか言えないので。

 

Q.例えば、「今日の髪型、綺麗ですね」なんてことは??

 

多分、そう言うことが絶対言えない人は、相当数おられると思いますね。

私は言われたら嬉しいですが(笑)

 

やはり、「笑い」は一筋縄ではいかない気がします。

 

元村さんは、冗談を言っていい相手と、言ってはいけない相手は、スグ分かるとおっしゃっていましたが、その「差」は果たしてどこにあるのでしょうか?

また、子どもの時には笑えなかった冗談も大人になれば笑えるようになった、その訳とは果たして何なんでしょうか?また、冗談やウソが苦手な人は、どんな時に、笑うのでしょうか?そんな人たちを笑わせるネタは、もしかしたら究極のネタ、人類の全ての笑いのツボを刺激するネタではないでしょうか?

 

ますます、色々なことが知りたくなってきました。

もっと多くの人にお話が伺いたい。また、様々なアンケートもとってみたいと思いました。

さてさて、さらなる研究を続けていくことにいたしましょう。

◇ 次にお話を伺ったのは、双極性障害のある彼でした

上記の元村さんとコントしている彼。

この彼に、続いてお話を伺いました。

彼の名前は、森村誠さん。32歳です。

実は、このコントの台本を書いたのは、この森村さんなのです。現在はNPO法人で働いておられますが、なかなか波乱万丈の人生を過ごしてこられました。まず、小学校5年生から中学卒業までは不登校。そのキッカケは勉強でのストレスといじめでした。

森村さん曰く、当時は優秀で、勉強が出来る子だったそうです。しかし良い子でいよう、良い子でいようとしてストレスが溜まっていたそうです。また、勉強が出来る子供は、時にいじめのターゲットに。内気な森村さんは格好の的となったようです。

 

Q.どんないじめを受けられたのですか?

 

「まぁ、仲間はずれにされたりとか、唾をかけられたりとか・・・アハハハハハ(笑)」

 

今でこそ、笑って話すことが出来るようになったのかもしれませんが、決して心から笑っておられるとは思えませんでした。中学は、ほとんど通学しなかったものの、高校には行けました。やはり「地頭」がいいのでしょう。さらに、大学は関西学院大学の社会学部に一発合格。さらに、就職も、東証1部上場の食料品会社にすんなり決定。最初の配属先は、大阪ミナミの某百貨店の食品売り場でした。

 

「もともと体力がないので、無理がききません。しかし、当時は朝5時半に起きて7時半から仕事。そして仕事が終わるのは夜9時半で、家に帰るのが11時半。そんな生活が続くとそれだけで身体を壊して、さらに鬱になって、病院に行って、薬を飲んで、騙し騙ししながらそんな生活を続けてきたんですが、ある日、仕事中に、もう多分限界が来て、朝の用意をしているときに、もうイライラして、ウワァ~ってなってしまって、職場には、すいません。抜けますと言って、その場を離れた後、ミナミの町をさまよって、近所にあった高いビルに行って、上から飛び降りようと思ったんですが、屋上に通じるドアが閉まっていて、それで出れなくて、そこで再び、ウワァ~と言って、倒れてしまって、それからの記憶が暫くないんです。で、気が付いたら、もう何時間も過ぎていて、そこから職場に戻ったら、お店が終わるところやって、ボクもう無理かもしれないと思って、翌日会社に電話して、休職したんです」

 

その後、復職するものの、その1か月後には、再び“ウワァ~”となってしまいます。

結局、その会社は退職。その後、知的障がい者の受け入れ施設に再就職しますが、そこは僅か1週間で逃げ出すように辞めることになります。そして、そこから2年間は、全く働けない状態になったのです。森村さんの言葉を借りれば「抜け殻状態」だったそうです。

「再び死のうと思ったんですよ。パジャマ姿でぬいぐるみを持ち、近所の線路に入りました。近くで農作業をしていたおっちゃんから、兄ちゃん、兄ちゃんと呼び止められたんですが、ボクはもう死ぬことだけを考えていたので、そのまま止まらずに進んでいたら、そのおっちゃんの『あっ、あかんわ』と言うボソッとした声が聞こえたのを覚えていますね」

 

Q.で、結局は?

 

「途中で、怖くなって、電車が来た際、サッと避けてしまったんですね。もちろん電車は止まるし、警察は来るし、と大変だったんですが」

 

しかし、その頃から、自分はただの鬱ではないと思うようになっていました。突然、何でも出来るような気になることがあったからです。そんな時、新聞で、「双極性障害」の記事を見つけ、自分も同じ症状だと、改めて病院で検査を受けたところ、まさに、その通りだったのです。そこから、治療を始め、また、障害者手帳も取得し、通院をしながら今の職場に通い始めてもう7年。今は、随分落ち着いていると、森村さんは自己分析されます。

そんな森村さんにとって、笑いとは、さて、何なんでしょうか?

 

「お笑いは、小さい時からずっと好きでしたね。特に不登校のときは、深夜起きているじゃないですか。ですから、深夜ラジオをよく聞いていたんですよ。そこで、“ハガキ職人”をしていましたね」

 

さて、皆さんは、この、“ハガキ職人”と言う言葉をご存知ですか?最近は、トンと皆さんラジオを聞かなくなったことから、この言葉も死語になる恐れがありますが、番組にせっせとハガキを書いて、その番組内で読まれることを至上の悦びとする“ラジオおたく”のことをそう言ったのです。

森村さんは、まさに、その、“ハガキ職人”だったのです。

 

「病気になってからは世間と繋がるところがなくて、誰からも認めてもらえないと思っていた時期が長くて、そんな中、ただ唯一、ハガキを書いて、そのハガキを読んでもらえたら、凄く褒めてもらえた気がしたんですよ」

 

森村さんにとっては「笑い」は、社会との接点であり、自分の存在意義の一つなのですね。

 

Q.障害者だからこその“笑いの感性”と言うのはあると思われますか?

 

「孤独感とか、社会に対する卑屈さだとか、なんか自分が社会と繋がれていない劣等感は、笑いに凄く結びついていると思いますね。そのひねくれた目線とか、斜に構えた見方とかは、笑いを生み出す要素になっている気がしますね。だから幸せなときには、ネタなんか考えようとは思いませんものね」

 

Q.ストレスがあるときにこそ、笑いのネタを考えるのでしょうか?

 

「そうかもしれないですね」

 

インタビューの間中、にこやかな表情を見せる森村さんですが、今でも自宅で“ウワァ~”となるときはある、と言います。

しかし、障害者のエピソードは、純粋にやっぱり面白いともおっしゃいます。

最後は、ご自身の体調にまつわるエピソードで締めくくっていただきましょう。

 

「同僚は、ボクの病状のことを知ってはくれていますが、そんなに詳しく分かっている感じもなくて、ただ鬱で体調が悪いときに、今日体調悪いんですと言うと『あぁ、分かった。分かった』と言ってくれるんです。しかし、やっぱり気まずいし、申し訳ない。もうちょっと頑張ったら行けるんちゃうか、やっぱり気持ちの問題ちゃうかな、と自分でも思うんですよ。

しかし、この前は、風邪で、休まざるをえなくなったんです。

これが・・・」

 

Q.これが?

 

「嬉しかった!だって、風邪と言えば、もう万人が許される病気じないですか!風邪ひいて熱があって、声が出ないので休ませて下さいと言えば、理解されるじゃないですか!それが嬉しくて。

欠勤する際は普通午前8時50分か55分頃に職場に電話すればいいんですね。しかし、その日は嬉しくて、朝8時頃に上司の自宅にまで電話して、ボク、今日、風邪なんですよ!声も出ないし、と言うと上司は『そうやな、声おかしいな』と言うので、そうなんですよ!声、おかしいんですよ!なので今日、休みます♪って、ガチャンと受話器を置いたら、もう、やった!!!と言う感じ。もう嬉しくて、嬉しくて!!体調が悪いときには、常に熱、出ていて欲しいですね」

 

と、ご本人が笑われたので、ボクもつられて笑いました。それを受けて、彼はこう言いました。

 

「本人が笑ってもええと思っているんやったら、障害のネタでも、全然気にせずにいじってもらったら、と思いますよ。ただ・・・」

 

Q.ただ?

 

「ただ、“腫れ物に触られるような感じ”は、やっぱり嫌ですね」

 

そう言って、コントのパートナーである元村さんと、顔を見合わせ、お互い頷いておられました。

やはり、障害と笑いには、依然ある種の難しさが存在するのは間違いないと思います。

もっと、もっと多くの人にお話を伺いたいと、ますます思うのでありました。

◇ 続いてお話を伺ったのは「チーム」でした。

7月某日。新大阪駅近くのスタジオにて

彼らはダンスの練習を行っていました。

その様子を拝見していましたが、何とはなく

“違和感”と言うか“不思議さ”を感じておりました。メンバーの数は約15人。これだけの人数が集まれば、もっと大きな声が飛び交い

BGMだって、ガンガンにかかるはずだと思うのですが、ここは少し違うのです。そう、

音が、声が少ないのです。多分、普通のダンススタジオの3分の2程度ではないでしょうか?その割合は、後で説明を受けて、実に納得しました。この団体の名前は、「手話エンターテイメント発信団 oioi」。手話歌や手話ダンスなどの“手話エンターテイメント”を発信している団体です。この日、ダンスの練習に参加したメンバーの3分の1が聴覚障がい者で、残りが健聴者だったのです。聴覚障がい者の方も、ある程度のお話は出来ますが、言葉数はやはり少ない。またBGMも、たいして要らないからです。

しかし、ここで、少し疑問に思われませんか?

「えっ?聴覚障害の方も、音楽に合わせてダンスが出来るのだろうか?」と。

ボクもそう思っていました。しかし、これが偏見で、知らないゆえの思い込みなのです。

oioi代表の「のぶ」さんは、こう説明してくれました。

 

「まずカウントを教えていくんです。1、2、3・・・7,8とね。それを身体にしみ込ませていき、簡単なリズムであれば、問題なく踊れますよ」

「今回は小さな恋の歌がテーマ曲ですが、こうやって1週間に1度みんなで練習をして、あとは個人個人で練習をすれば、まぁ、1か月で完成させることは出来ますよ」

「しかし、普段の生活から音楽を聴く習慣のない人にとっては、そもそも“リズム”と言う概念そのものがない。だからリズムと言っても、それは何?となるんですね。音楽をある程度楽しんだ経験がある人であれば、すぐ入っていけるんですが・・・」

 

そこで、またボクは、無知をさらけ出してしまったのです。

 

Q. えっ!えっ?聴覚障がい者も音楽を楽しむなんてこと可能なんですか?

 

「それは障害の程度によるんですよ。ですので、もちろん音楽を楽しんでいる聴覚障がい者もいます。あとは家庭環境や、育ってきた環境でも変わります」

 

確かに。ボクは健聴者ではあるけれど、リズム感などまるでない。聴覚障がい者は音楽は苦手で

健聴者は音楽は得意、と言う構図は全くのナンセンスなのでありました。

ところで、このoioi、手話ダンスや手話歌だけでなく、彼らの得意なパフォーマンスに「コント」があります。右側の写真が、そのコントを披露しているところです。このコントが実に、ブラック!初めて拝見した時は、思わず息を呑んでしまいました。写真左端の2人が健聴者で、右側のカラーTシャツを着た3人が聴覚障がい者と言う構成です。最初は、左端の2人が舞台に登場して“狂言回し”のように、これから始まるコントについて説明を始めます。

そして、彼らは、その途中で、他のメンバーを「呼ぶ」のです。

「お~い、みんな、こっちにおいでよ!」と、声を掛けるのです。

ここで、分かった人は、勘のいい人、ブラックユーモアに長けた人、あるいは意地悪な人です。

だって、そうでしょ。残り3人は聴覚障がい者。声をかけても分かりません。そこで、左端の2人はこう感想を述べるのです。

 

「あっ!声をかけても、彼らは聞こえないか!」と。

 

そう呟いた後、舞台袖に一旦引っ込んで、他の3人を舞台にあげるのです。何ともシュール、何ともブラックではありませんか。しかし、これが彼らの持ち味で、また人気の秘密でもあるのです。

このoioi、誕生から既に10年以上が経ちますが、これが一貫した彼らの「やり方」なのです。

練習終了後、主要メンバーにお話を伺いました。左端が副代表の「りゅうじ」さん、そして右端が同じく副代表の「きぬ」さん。そして真ん中が代表の「のぶ」さんです。両副代表は健聴者で、代表の「のぶ」さんは、聴覚障がい者です。

まず「きぬ」さんは、言いました。

「一見ネガティブに思われることを、笑い飛ばしていきたいですね。ボクなら、この太っている、デブなところを活かしたい。当事者が言うのが、やはりいいんですよ。」

おぉ、「太っている」と言うことと「聴覚障害」を同列に扱っていることに驚いてしまったぞ。

さらに「りゅうじ」さんは言います。

 

「一般化したいですよね。こうした笑いを。聞こえないことが笑いに、いじってもいいんだよってことにしていきたいです。例えば、さんまさんが、耳が聞こえない人の、その聞こえないことをいじって笑いにすることが出来る世の中にしたいなぁと思いますね」

 

さんまさんが聴覚障がい者をいじる・・・おぉ、想像してみると、なんか凄そうだぞ。

しかし、聴覚障害のあるメンバーには、やはり最初は戸惑う人もいたのではないでしょうか?

代表の「のぶ」さんに訊きました。

 

「はい。メンバーの中にもいました。しかし、ボクらが行うパフォーマンスを見た観衆から『めちゃ勉強になりました。面白かったし、今まで聞いたことがなかった話が聞けてよかった』とか『今までこう言う話って気になっていたけど、なかなか聞けなかった。しかし、本人たちがそれを明るく話しているのでポジティブなイメージに変わった』と言うアンケートを読んで、あぁ、自分もやらなあかんな、となるんですよ」

 

では、最後に、oioiとして今後どんな活動をしていきたいかを「のぶ」さんに伺いました。

 

「聞こえていない人の生活って、まだまだ知られていない部分も多いんですけど、それを色々とコントに仕立てて、多くの人たちに伝えていきたい、訴えていきたいですね。笑いを通して色々なことを知ってもらいたいですね。そして、それをきっかけに問題意識を持ってもらえた人に、何がしかの行動を起こしてもらえれば、嬉しいなと思いますね」

 

彼らにとって、この笑いと言うのは、決して殺傷能力などは全くありませんが、自らの身を守る

「鉾」であり、また「盾」でもあるような気がしました。

 

いや、やはり、それでも、時には、人を傷つけることもあるのではないでしょうか?

まだまだ、分からないことは多い。引き続き取材をしなければ、と思うのでありました。

 

◇ 皆さんに伺ってみました。

冒頭にご登場いただきました元村さんが代表理事を務められる発達障害者支援グループ・Unbalanceの皆さんにご協力をいただいて、9月の某日、アンケートを取らせていただくため定例会にお邪魔させていただきました。

その様子が、左の写真です。

ご協力いただいた皆様、本当にありがとうございました。

さて、アンケートにお答えいただいたのは、軽度の発達障害の方から、ADHD、LD、ASD、LGBT、さらに視覚障害と一人で何種類もの障害を抱える人まで、総勢17人。

年齢は、8歳から150歳まで。

150歳!?何と世界最高齢!!??

右の写真をご覧ください。確かに

アンケートの年齢欄にはそう書いてあります。これは冗談なのか、あるいは単純に誤記なのか、それとも、本当なのか?まぁ、それはないでしょうが。しかし、17人中11人が「お笑いは好き」と答え、この150歳と記入された方も、はい!好きです!!とお答えいただいていますので、多分冗談なのでしょう。(笑)

けれど、今回、皆さんに伺いたかったのは、まさにその点だったのです。

皆さんには、こうお聞きしました。

「周囲は笑っているのに、自分だけ訳が分からなかったと言う経験はありますか?」

さて、17人中、何人の方が「ある」と答えたでしょうか?その数は・・・11人。

実に64%の人々が、周囲の「笑い」についていけなかった、理解できなかったと答えているのです。これ、健常者と呼ばれる方々に同じ質問をした際には、その割合は、グッと減るのではないでしょうか。笑いは、コミュニケーションの潤滑油などとよく言われますが、発達障害のある方々には、潤滑油どころか、心にチクリと刺さる“トゲ”になることもあるようなので、要注意です。

 

続いてお聞きした「周囲が笑っていたのに、自分だけが笑えなかったテーマを教えて下さい」と言う質問の回答に次のようなものがありました。

 

「その職場で“言われなくても分かる”と言うことが笑いのネタになった際、私だけが気づいておらず、ついていけなかった。“見ればわかる”“聞かなくてもわかる”と言うことが、自分だけ分からないことが多い」

 

この方は、これまで随分と疎外感を感じてこられたに違いありません。一方、周囲の人々は、この人を「面白味のない人だ」「協調性のない人だ」と、これまた誤解してきたに違いありません。

 

さて、そんな彼ら、彼女らに、今回のアンケートで一番お聞きしたのは、こちらです。

 

「障害そのものをネタに、笑いにするケースをどう思いますか?」

 

◎ 良いと思う。機会があれば、もっと広めていって欲しい

△ ケースバイケースだ。ネタによる。

× 障害を笑いにわれるのは、やはり抵抗がある

 

さて、皆さんは、どの回答が、一番多かったと思いますか?

あっさり、答えを明らかにすると「△」のケースバイケースが一番多かったです。

そりゃ、そうですよね。これは「愚問だった」と自分でも思いましたが、実は「△」と答えたは 9人で、もっと広めて欲しいと「◎」と答えたのは8人で、その差は、たった1人だったのです。 さらに、抵抗がある、と答えたのは、今回の調査では0。これには驚きしました。ほぼ半数の人々が「もっと障害をネタに笑いにすればいい」と考えておられるのです。想定外でした。

しかし、だからと言って、「皆さん明るいですね」「前向きですね」とまでは言い切れない、何となく「複雑な思い」と言うのも感じられました。

 

この回答者にとっては、「笑い」は「助け」なのですね。さらに、厳しい意見もありました。

 

「障害を笑われるのは辛い、悲しいと思っておられる人もいるかもしれないが、それは甘いと思う。社会に出たらもっと辛い、悲しいことが多いから、そんなことでいちいち辛がっていたり、悲しんでいたりするようでは、とてもじゃないが社会では通用しない。笑われても、なにくそ、見返してやると言った劣等感や悔しさを反発力に変えるか、一緒に笑い飛ばせる度量の大きさ、精神力の強さ、視野の広さが障害者には必要だと思う」

 

もう、こうなると「笑い」は「修行」に他なりません。

やはり、“障害者の笑い”への理解は、一筋縄では行かないようです。

 

さらに、もっと多くの障害者の方々に、「笑い」について、もっともっと多くのことを聞いてみたいと思ったのでありました。

◇ 番外編 ~発達凸凹恋愛会議~

「笑い」とともに障害のある皆さんにお聞きしたかったテーマがこちら!「恋愛」です。

皆さん、何を望み、何に悩み、どう解決しようとしているのか?それは、まさに、障害者の方々が抱える「笑い」に関する問題点だと同じだと考え、一度、お話をお伺いしたかったのです。

そこで今回も、元村さんが代表理事を務められる発達障害者支援グループ・Unbalanceの皆さんにご協力をいただいて、「発達凸凹恋愛会議」なるものを開催していただいたのでありました。

ご参加いただいたメンバーは9人。20歳代から40歳代までの「恋愛に悩める子羊ちゃん」たちです。発達障害だけでなく、統合失調症や、視覚障害、鬱やLGBTまで、障害の種類は実に様々。

しかし、当然ですが、皆さん、恋もしたい、愛されもしたい、そして結婚もしたいのです。

けれど、上手く行かない。それは何故か?

そこにはやはり発達障害の特性が大きく関与していました。皆さん、こう話してくれました。

「自分が話を聞いていないからだと思います。そもそも、彼女の話を聞いても、話だけでは頭の中に想像図が描けないのですから」

「ネガティブな話を、延々としてしまうんです」

「デートするにしても、人混みが苦手で・・・・」

「告白するタイミングが・・・読めないんです」

なるほど。確かに、どれも皆さんの特性ゆえ、なのでしょう。

さらに、こんな理由もありました。

「メールだけ、文字だけでは不安」

「恋愛と言う“目に見えないもの”は・・・不安です」

重ねて、なるほど、と思いました。

恋愛と言う漠然としたものを、どう頭の中に描き、そして、それを理解し、自らの行動に結び付けるのか、彼ら、彼女らにとっては、大きなハードルなのです。

そこで、次に「どんな人と付き合いたいか?」と言う質問をしたところ、こうした答えが複数ありました。これまた、なるほど、と思わざるをえませんでした。

「尻に敷かれたい。年上の人にテキパキ指導して欲しい。そして、コミュニケーションを教えて欲しい」「優しい人。コミュニケーションのある人」

そうなのです。障害者を取り巻く環境においては、やはりコミュニケーション能力が大きな鍵となるのです。本人も、そして周囲の人々にも。

コミュニケーション。

恋愛はまさにこのコミュニケーションの積み重ね。そのコミュニケーションの苦手な参加者からは、会議の後半、こんな質問が相次いで出されました。

「付き合う時、誘う時、それはどんなタイミングなのか?定義を教えて欲しい」「何回目の食事で告白したらいいのか?」「男女の金銭感覚が分かりにくい。割り勘なのか、奢ってもらえるのか、どうやって聞けばいいのか?」「フラれ続けてきても、最後には成就する人もいる。どこまで諦めずにチャレンジしたらいいのか?」など、など、など。

正面切って聞かれると、答えに困るものばかり。

そこで、こう言われて、「確かにそうかも」と思った声がこれです。

「付き合うための練習の場が欲しい!指導して欲しい!恋愛に実習が欲しい」とのこと。

う~ん、本当に必要かもしれませんね。2017年には「恋愛道場」なるもを開催しますか。(笑)

しかし一方で気になった答えがこちらです。恋愛が上手く行かない理由を聞かれた際の答えです。

 

「自信が・・・ない」

 

もしかして、多くの障害者が実はそう感じているのであれば、不幸だし、それは社会の問題かと思います。もっと笑いながら、障害者たちの「こいばな」「恋の話」「恋愛の話」が出来る世の中にしなければと、改めて、少し真面目に思う2017年の幕開けなのでありました。

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