◇ 「本」を作りたいのです!

今、新しいプロジェクトを進めています。

それは・・・「本」を作ること。

 

仮題は

「集中治療室物語 ~そこにある生と死と~」

 

皆さんは「集中治療室」って、ご存知ですか?

あぁドラマでよくやっている・・・と言うのは

多分救急救命センターのこと。

救急救命センターが「動」の医療であるなら

集中治療室は「静」の医療。

しかし、そこにも様々なドラマがあるのです。

そこで、

その集中治療室で働く人々にスポットを当て

彼ら彼女らにとって当然なことも

我々にしてみれば全く知らないその活動を

掘り起こしてみたいと思っています。

既に、取材した一部をここに紹介したいと思います。

「あぁ、もっと先が読みたい」と言うご感想をお持ちいただければ幸いです。

 

 

 

ICU」や「集中治療室」と聞いて、あなたはどんなイメージを描きますか?

 

響く警告音に、慌ただしく動き回る医療スタッフたち。生死の境をさまよう患者たちの青白い表情に、厳しい表情を見せる医師たち。そんな「絵」が浮かぶあなたは、実は、大きな誤解をしておられます。

 

それは、多分、救急救命センターのこと。

 

救急車のサイレンが近づいて来たと思えば、ほどなくストレッチャーに乗せられた患者が運ばれて来る。その多くが重症です。心筋梗塞で倒れた。くも膜下出血で意識がない。交通事故で複数の骨折が診て取れるなど。一刻を争う中で治療が繰り広げられていきます。また、患者は何者で、どんな状態で発見されたのか、あるいはその患者の既往歴はなどの情報収集も慌ただしく行われます。それが事件や事故だった場合は、警察官が付き添っているケースもあるのです。そう、それは救命センターでのことです。そこでは、救急専門の医師やナースたちが日々奮闘しているのです。

 

では、その救命センターでの措置が終わり、一命をとりとめたであるとか、容体がとりあえず安定したなど、いわゆる“当面の危機”を脱して患者は、さて、何処に移されるのか。それが「ICU」や「集中治療室」と呼ばれる施設なのです。また、ここには、救命センターから送られてくる患者ばかりではありません。大きな手術を受けた直後の患者も、手術後一般病棟に戻る前にもこの施設で過ごすことになります。ここは、一床あたりのスペースが一般の病棟より広く、人工呼吸器や透析器なども設置され、集中治療専門の医師やナースたちが人員的にも手厚い体制で、かつ24時間体制で患者を見守っています。

 

ところで、意外かも知れませんが、そんな集中治療室では「急変がない」と言われるのです。「えっ?」と思いませんか?ドラマのシーンなどでよく見られる「先生!患者さんが…」と、ナースが医師に大慌てで声をかけるような場面は、ほぼないと言うのです。

 

ある集中治療専門医は、こう話してくれました。

  

「確かに、一般病棟ではこうしたケースと言うのはありえますよね。でも“急変”とは言え、実は12時間前から、そのサインは出ているもんなんですよ。例えば『呼吸が少し早くなってきているな』であるとか、『顔色が悪いな』であるとか、サインはあるんですよ。ただそれは一般病棟だとずっと看護師さんが見ている訳じゃないし、ドクターもずっとそばにいる訳ではないので気付きにくいと言うか、気づいてもらえないので“急変”と言う事態になるだけなんですよね。しかし、ICUは基本誰かがそこにいて、おかしいことがあれば直ぐに気が付くので、いち早く医師が介入していけるんですよね。なので、急にダーンと悪くなることはないんです。悪くなる人は、ずっと悪くなっていくだけ。変な表現かも知れませんが“予想通り”悪くなっていくだけなんです。ですから、ICUでは基本“急変”はないと言われるんですよね」

 

たとえるなら、救命センターが「動」の治療であるなら、ICUは「静」の治療と言うところでしょうか。

 

しかし、たとえ「静」の治療であっても、対象の多くは重症患者。そこにはやはり生死を懸けた様々なドラマが繰り広げられています。例えば、人工呼吸器をつけ、麻酔をかけられて穏やかに眠っている患者がいるとしましょう。バイタルサインも安定していて、人工呼吸器の機械音がシューシューと聞こえるだけ。まさに「静」の治療です・・・と言いたいところですが、実はそれは違います。人工呼吸は何も治療ではありません。ただ、治療の時間を稼ぐためだけの措置です。それどころか、長く人工呼吸器を付けておくことは合併症の要因になりかねず、肺炎を罹患する可能性も高くなります。また麻酔も、あまりに深い麻酔は決して好ましいものではありません。長い眠りは、身体を委縮させ、身体機能を衰えさせていくからです。人工呼吸器をいつ外すか、それ一つを取ってみても、集中治療室での細かな観察に基づく医師たちによる大きな決断と、様々な葛藤がその背景には存在するのです。

 

また、この医師たちにも、それぞれのドラマがあるに違いありません。まず、この集中治療室を司るのは原則「集中治療専門医」と言う医師たちです。ある一定期間集中治療専従期間を持ち、集中治療に関して深い学識と豊富な臨床経験を有するものに対して、日本集中治療医学会が書類審査及び筆記試験行い、それらに合格した医師のことを言います。まさに、集中治療のプロフェッショナル。ありとあらゆるスキルやノウハウに長けているはずと思いきや、これまた意外にも実はそうでもないと言うのです。

 

ある集中治療専門医は、こう話します。

  

「ボクには、出来ないこと、いっぱいありますよ。もちろん、くも膜下出血の手術などは出来ません。胃カメラだって、出来ないことはないけれど、専門の先生に任せた方が上手いに決まっている。心臓のカテーテルだってそう。ボクが手術をするとしたなら、切ったやつを縫うぐらいかな。確かにやろうと思えば出来ますよ。だけど、いつもやっている先生に任せた方が安心じゃないですか」

 

―では、集中治療専門医とは、何をする医師なのですか?―

 

「一言で言えば、コーディネーターでしょうか。アメリカンフットボールでは、攻める際のオフェンスのコーチがいて、一方では守る際のディフェンスのコーチがいる。それぞれがそれぞれの立場で作戦を進言してきますパスにするのか、ランにするのか、とかね。それを俯瞰した立場でまとめ、決断をするのがコーディネーターと呼ばれる役割です。集中治療専門医は、まさにこれですね。脳外科の治療をしていたら、心臓も悪くなることが往々にしてある。高齢者の場合は、それに加えて腎臓も診なくっちゃと言うケースもあります。そこで、集中治療専門医は、それぞれ専門の先生方に相談しながら、どの治療を優先するかを決め、コーディネートとしていくんです。治療だけではありません。治療同様重要になってくるのが、栄養の管理なんですが、これは意外と医師たちには門外漢も多い。例えば、麻酔がかかって、さらに人工呼吸器を付けている患者さんがおられるとしましょう。当然、口からはゴハンは食べられない。では、栄養は点滴で与えるのか、鼻からチューブを入れて胃などの消化管に直接届けるほうが良いのか。はたまた、それをいつから、また何カロリーぐらいから始め、その後はどのペースで増やしていかねばならないのか、それも決断、そして管理していかねばならないのですよ。意外と腸に直接栄養を届けると下痢しちゃったりする。では、どう対処するのか。下痢止めを使用するのか、はたまた栄養剤を変えるのか、日々、いえ瞬時瞬時に観察と決断と管理が必要になってくるんですよ。確かにかつては、例えば外科専門の先生であっても、患者さんを一度引き受けたらずっと診ていましたが、今では、重症であれば何科であっても集中治療専門医に任せようと言う流れになってきていますね」

 

  そこで、「集中治療専門医」とは“目利き役”ですかと尋ねると、一拍あってから「そうですかね」と頷かれました。

 

しかし、その目利き役の集中治療専門医は全国で何人おられると思いますか?いや、その前に、集中治療室を持つ病院は、さて、どれだけあるでしょうか?早速、答えを申し上げると1100あるそうです。では、もう一度、集中治療専門医は全国で何人おられると思いますか?正解は1500人です。ならば、1病院に1人強おられる計算になりますが、現実は大きく異なります。実際に集中治療専門医を抱える病院は僅かに300程度と言われています。

 

何人もの専門医を抱えているところもある一方で、残りの800の病院には、集中治療室はあるけれど、専門医は誰一人としていないと言う現実があるのです。

 

そもそも、医師は30万人いると言われていますが、集中治療専門医の数は1500と全体の僅か0.5%。実際、この集中治療専門医と言う概念が日本に入って来てからまだ256年しか経っておらず、ここ最近になってようやくその意義が認識されたと言う状態だからです。そのため、1500人のうちの半数は、ここ56年で資格を取得したばかりだと言われています。言わば、我が国の集中治療は、まだまだ手探りの状態だと言っても過言ではないでしょう。それだけに、日々奮闘する医師やナースなどの医療スタッフがいて、日々、様々なドラマが、この集中治療室で繰り広げられているのです。

 

確かに派手さこそないかも知れませんが、彼ら彼女らの静かな囁き、嘆き、祈り、そして願いに耳を傾けてみませんか。日本の医療の現状がおぼろげながらも見えてくるかも知れません。また、何か少しでもあなたのハートに残るものがあればとも思います。

 

さぁ、今から、めったに覗くことのない集中治療室の扉を開けて医師やナース、さらに患者や関係者たちの「声」をそっと聴いてみることにいたしましょう。そっと、そっと。

 

 ―今までに、どれだけの患者さんを診てこられたんでしょうか?―

 

「それは難しい問題ですね。う~ん、まず、みんなで診ているので“担当”と言うのではないんですが、年間に1000人から1500人は、このICUに入られるので・・・だから、う~ん、延べで言うと、一万人に近い患者さんを診てきたのかな」

  

一万人!

 

言葉を選びながらも、そうサラリとおっしゃったのが、今回の「語り人」です。穏やかな語り口に、優しそうな風貌。お話を伺いながら、何となく「ウサギさん」とお話をしている感じがしてきました。先生のお名前は、仮にI先生としておきましょう。医科大学の附属病院に10年以上勤務されその大半、集中治療室に在籍。5年前からは集中治療医の専門医の資格も取得されておられます。確かにキャリアもある程度積み重ねてこられた訳ですが、それにしても一万人近い患者さんを診てこられたとは驚きです。

 

I先生は、そうしたこちらの驚きを察知して、さらに、詳しくこう説明して下さいました。

  

「まずここは、救急搬送をされた方と言うよりは、院内で、大きい手術をされた方が運ばれてくるケースが多いんです。そうした方々の半分は、だいたい1日でこの部屋から出ていかれます。例えば、肝臓の手術をしても、翌日には退室されます。手術をされた後、ここに運び込まれて、暫く様子を見た後、安定されたなとなると、翌日には退室、一般病棟に戻っていかれる。そう言うケースが、半分、いや全体の3分の1程度ですかね。あとの3分の1は心臓外科とか大きい手術をして、暫くICUで診ておかなければならないと言うケース。そして、残りが、病棟で急変された患者さんですかね。こんな表現はどうかと思いますが、大半が家の前を一日で通り過ぎっていった患者さんと言う感じですかね。手術がうまく言った患者さんなら、正直・・・“流れて行く”と言うか“通って行くだけ”と言っても過言じゃないかと思いますね」

  

―しかし、それが一番いいんでしょ?―

  

「そうですね。はい。その通りですね」

  

“通って行くだけ”の場所、それが集中治療室。いやいや、それは、流石に誤解を生む。謙遜し過ぎの表現かと。多分、正確にはこうでしょう。“また、戻って行くだけ”の場所。患者が、一般病棟から送られて来て、また、一般病棟に戻って行く。そのUターンの場所が、この集中治療室だとI先生は言うのです。

 

より詳細な解説は後述するとして、まずは何故I先生が、この集中治療医を志したか、その訳をお聞きしました。

  

「最初は整形外科とか産婦人科がいいかなと思ってたんですが」

 

―それが、何故、集中治療の専門医に?―

 

「研修医の時に、患者さんが急変してですね、何と言うか・・・手が出なかったと言うか・・・手が出なかったんです。正直に言うと、固まってしまったんです。それが、きっかけですかね?」

 

―その時は、どう言う状況だったのですか?―

 

「研修医って、夜中まで働かされるんですが、その時も、病院にはボクだけでした。外科の患者さんが、明日以降に手術を控えていた患者さんがおられたんですが、急に脈が遅くなってしまって、意識が無くなってしまったんですよ」

 

―えっ?外科の患者さんですよね?―

 

「そうです。外科の手術を受ける予定の患者さんでした。確かにもともと色々な病気をお持ちで合併症はあったんですが、それが手術の目的ではなかったんです。にもかかわらず、容体が急変したんです。想定外のことでビックリしました。なので、脈が遅い時って何をするんだっけ、と言う感じでした。焦っているのもあって、動転もしてしまって。もう、何がなんだか、と言う感じでした」

  

―それが、集中治療の専門医を目指したきっかけ?―

 

「そうです。こう言うことは今後もきっと起こるし・・・こう言うことに対処できないと・・・当然・・・患者を助けられないなと言う思いが、芽生えたからですね」

 

まさに、医療ドラマの主人公のようではありませんか。そう言う印象をこちら側が受けたことにI先生も気づかれたのか、少しはにかみながら「フフフ」とお笑いになられました。

 

「少し青かったかな」と当時を思い出されたにちがいありません。しかし、その志は変わることなく、研修医を終了された2年後には早くも集中治療室で働かれることとなり、その後は、ほぼ一貫してこの道一筋です。ですから、冒頭に申し上げた通り、実に一万人近い患者さんを診てこられたという訳です。

 

そして、さらに、こんな数字も挙げて下さいました。それは、決して多分平均的ではなく、この病院に限ってと言う数字かと思いますが、それにしても、集中治療室のイメージとは少しかけ離れていると感じるのは、さて、筆者だけでしょうか?

 

「ここIUUで、患者さんの死に立ち会うと言うことは、あまりないですね。1割もいかないくらいですね」

 

―えっ?どう表現したらいいのか、適当な言葉が見つかりませんが、病院で死を迎える人は、必ずこの集中治療室に運ばれて来る、と言う訳ではないのですか?―

 

「もう既に、治しようがない人、手がつけられない人、そうした患者さんがおられます。そう言う人たちは、集中治療室には、基本、来ないんです。だから、少ないんです。集中治療室を必ず通って、最後を迎える訳では、全然ないんです」

 

―では、集中治療室に来る人とは、どんな人だと理解すればいいのですか?―

 

「集中治療室に来る方は、戻る可能性がある方。一般病棟に戻る可能性がある方なんです。

 ですから、集中治療室に行く、と言うことは、絶望の暗闇ではなく、ある程度の光が差していることだと患者さんのご家族にはご理解いただければと思います」

 

しかし、それでも、時にはこの集中治療室が“最期の場”として、“家族によって”選ばれることがあるのです。

 

「集中治療室に運びこまれた瞬間から、これはきついなと言うのは分かりました。白血病のお子さんでした。6歳の女の子。うちの病院では積極的に白血病の子どもを受け入れているんですが、中には、悪い方、重い方が来られるんです。その女の子も、病棟の方で色んな治療をした上でここに運び込まれて来ているので、実は、もう手がない状態でした。髪の毛もないし、顔もパンパンには膨れていて・・・。ですから、僕らがやれることと言うのは、対処療法的なこと。それは、もう治療ではなくて、なんとか生き延びさせると言うことだけ。そもそも根本の治療がないと、効かないんですよ。治らないんですよ。もう手がないとなると厳しい。まだ何か出来ると言うのがあれば、もちろん、我々は、その何かをやるんですが、出来るんですが・・・」

 

―何故、そうした患者さんが、集中治療室に?―

 

「家族が最後までやって欲しいとおっしゃるので・・・」

 

―しかし、病棟の方で様々な治療をして、言わば、様々な手を尽くしてきたわけですよね。にもかかわらず、“最後”に、集中治療室に回って来たと言う感じだったのですか?―

 

「そうです。そういうのがキツイ。心に残りますよ。この部屋に来た段階で“これは”と思う。本来ならば、上(病棟)で看取るべきものではないかと思える微妙なケースでした。でも、家族さんは、最後までやって欲しい、出来るところまでやって欲しい、出来ることは全部やって欲しいと要望される訳ですよね」

 

―受け入れられる時は、辛いですよね?―

 

「声を覚えています。『やだやだ。苦しい、苦しい』って。『やめて!嫌だ』って。何かをされる、と言うのを嫌がっていたんでしょうね。場面も覚えていますよ。息がもたないので、管を入れる。人工呼吸器に繋ぐ。そして、寝かす。でも、そのままだとしんどいんですよね。だから、点滴を入れる。首から太い点滴を入れる。あとは薬を調整。でも、やっぱりだめだなと、こちら側は思う。けれど、家族がそれを望まれて、主治医の先生もそうしてくれ、とおっしゃるのであれば・・・ね」

 

―主治医に代わって、家族への説明も集中治療室の先生が行うケースもあるんですか?―

 

「それは、患者家族と主治医との関係性によりますね。主治医と患者家族の関係性が良好であれば、主治医の先生と話をしてもらうんですが、良くないと・・・不信感を患者さんの家族が持っているなぁと思われる際には、我々が入らせてもらって、状況の説明をさせてもらうことがあります。家族にしてみれば、ここまで色々と治療をして来たのに、結局、ここICUにまで来てしまったと言う複雑な思いがある。それだけに主治医の先生との関係が、こじれている場合も多いんです。そこで、こっちサイドで『やっていることはやっているんですが、やはり難しいです』と説明させてもらうんですよ」

 

―それは、キツイ役割ですよね?―

 

「そうですね。あんまりいい仕事ではないですね。『もうそろそろ覚悟をして下さい』

 とか、『諦めて下さい』と言う時は、辛いですよね」

 

―その女の子のケースでも?―

 

「はい。しました。しかし、その親御さんの場合は、娘さんの闘病歴が長いので、覚悟はされておられたのだと思います。だから、動揺されない。それがまた、心に痛いんですよ」

 

―しかし、結局は、最期の時を迎えた訳ですよね?―

 

「そうですね。だんだんと脈が落ちていって」

 

―最期も先生が宣告されたんですか?―

 

「そうです。そうしたケースでは、なるべく言葉を少なくして、客観的に、感情を出さないようにしていますね。家族は、納得はしてくれるんですが・・・。正直なところ、最期は、話が出来る状態のままがよかったんじゃないか、とは思いますね」

 

―それって、どう言うことなんですか?―

 

「患者の家族は、『最後まで手を尽くして欲しい』『最後までやって下さい』とよくおっしゃいます。確かに、そのお気持ちはよく分かります。でもね、患者本人は、管を入れられて、結構しんどいんですよね。ただ薬の力によって、生き長らえられている状態。ただしんどいだけの状態かもしれない。それを、家族の方々は想像出来ているのかなって、思います。ですから、最期は静かに見送ったほうがよいかもしれません、と言うんですけどね。う~~ん。でも、家族がやって下さいと言えば、う~~ん、それは家族が望まれることですので、それをしますけど。う~~ん、迷うことはありますね」

 

集中治療専門医だからこその苦悩なのかもしれません。おっと、あまりに湿っぽい話題になってしまいました。

 

I先生!今度は、先生がいたからこそ助かったと言うような事例をお聞かせ下さい。

 

「正直、僕らがいて、助かったなと思うのは、1000人患者さんが入ってきたとしたら、その中の10人か20人くらいしかいないかな・・・謙遜じゃなくて。治る人は治りますし、亡くなる方は、亡くなる。時間の問題なんですよね。一瞬死の淵に近づいても、そこを越えさせないで生還させることが出来た、と言うのは、やはり10人くらいでしょうか」

 

―それは、あまりに低く見積もっておられませんか?―

 

「いや。正直、集中治療専門医の存在意義を語るのは難しい、と感じていますよ。論文では、集中治療医がいる病院といない病院で死亡率に違いがあるか、なんてことを調べていて、いた方がいい、と言う結果は出てはいるんですが、そもそも、それを調べようとすること自体、集中治療専門医が院内にいた方がいいか、いないほうがいいか、悩んでいるんだろうな、と思いますよね」

 

I先生はそう言うと自嘲気味に笑われました。

 

―しかし、それでも、時には「やった!」と集中治療医としての手ごたえを感じられることもおありなんですよね?―

 

「集中治療室の強味は、時に極端な治療が行えると言うことです。病棟などでは使わない薬を使ってみたり、血圧を上げるような薬を思い切った量を使うであるとか、点滴を、病棟では1リットル、2リットルのところを、110リッターも入れる、すなわち1日に10キロ体重が増えちゃうような、言わば“エキセントリックな治療”が出来る場所なんですね」

 

―では、先生の印象に残っている“やった”と言う事例を教えて下さい―

 

「確か、『そんなの関係ねぇ』と言う小島よしおさんのギャグが流行った頃、インフルエンザをきっかけにウィルス性脳症になって、意識もなくなってしまって子どもが運ばれてきたんですが、2~3ヶ月は、集中治療室にいたでしょうか?なかなか回復の兆しが見えず、意識も戻らない。本来ならばそろそろ転院も考えなければならない程の時間が経っていたんですが、血圧が安定しないことから、この集中治療室に留め置かれていたと言う感じでした。それが、突然意識が戻って、さらに『そんなの関係ねぇ』と声を上げたものだから、驚きましたね。もう、そのギャグは廃れ始めていましたから、いかに長い時間意識が無かったかと思いましたね。ホント、諦めないでよかったなと」

 

―その時の率直な感想は?―

 

「子どもって凄いな、と言うことですかね」

 

―いや、そう言うことではなく、自らの治療の手ごたえみたいなものは無かったのですか?―

 

「ボクは何もしていません。ただ死なないようにしていただけです」

 

―そうか!その死なないようにすること、患者の容体を安定させることこそが、重要なんですよね?―

 

「そうなんです。重要なのは、本人の回復力です」

 

―言葉は悪いですが、ある種の時間稼ぎ、ですかね?―

 

「その通り。その通り、です。自分で回復出来る人は、こうやって戻ってくるんです。自分の回復力が一番なんです。一番重要なのは本人の“生きたい”と言う意志ですよね。ただね、色々な合併症が起きるんですよ、寝たきりになっていると。それを、なるべく起こさないようにする、それが、私たちの仕事。自分の力が発揮出来る環境を整え、待つ。それが、一番の我々の仕事かと思いますね」

 

謙遜し過ぎるきらいのあったI先生が、ここに来て、ようやく熱く語り始めて下さいました。

 

「集中治療室の場合、肺炎が起きるんですよね、よく。人工呼吸をしていると、唾が気管に流れ込んでしまう。本来ならゲホッと出せるんですが、重症患者の場合は、もう出せない。それが肺に入る。唾には菌がたくさん存在するので、それが肺に行ってしまうと誤嚥性肺炎になる。そうならないようにするのが、我々の仕事です。また、寝っぱなしになると、肺がだんだん潰れていってしまうんですよ。これは“無気肺”と言って、空気が入らない肺になってしまう。そうならないようにするのが仕事です。その他、水がどんどん溜まっていくのを、利尿剤で出していくとか。ほっておいたら血圧が下がってくるので、それを昇圧剤で上げていくとか。さらに、不整脈への対応。あとは、せん妄と言って、意識が混濁して暴れてしまうような場合は、適切な鎮静剤を投与します。鎮静剤にも色々あるんですが、当然、適切な鎮静剤を投与します。しかし、かと言って、効かし過ぎると、寝たきりになるんで、ある程度、起こしながら寝かす・・・みたいな。量の調整が難しい。慣れてないお医者さんだと、そうした患者さんをビチャーと寝かしちゃうんですよね。そうすると、寝っぱなしになり、合併症になる。だから、昼起こして、夜寝かして、リズムをつけてあげる。慣れてないと、それは難しいんですよね。また、患者さんは色々と管が付いていますから、苦しいので、それらを抜いちゃうんです。それも見守っておかねばなりません。ですから、やはり、こうしたことは一般病棟では難しいですよね。何かあることを見つけるのも難しいし、何かあったとしても、医者が常駐している訳でもない。医者が来るまでのその時間、対処するのも難しい。たとえ医者が来たからといって、その医者全員が全員、適切に対処出来るかと言えば、それは、出来ないんですよ」

 

I先生は、そう話し切ると、少し胸を張りました。

 

―集中治療室の医師って、野球の投手にたとえると、先発でも、最後を締めるクローザーでもない。言わば、その間を繋ぐ“中継ぎ”みたいなものでしょうか?―

 

「そうですね、そうですね。そうかもしれない。確かにそうかもしれませんね。実際、患者さんの家族にすれば『えっ?もう出ていくんですか?』と言う感じでここICUを退室することが多いですね。その時点では治ったと言う感じではないですからね」

 

―確かに、集中治療室から、『ハイ!退院』ってことは、ないですもんね?―

 

「まず、ないですよね。病棟に戻って、また1か月と言うようなケースが多いですよね」

 

―患者さんは、集中治療室にいたことすらを知らないケースも多いと聞きますが―

 

「そうなんですよ。だいたい覚えていないことが多いですね。でも、僕らにとっては、幸せと言うか、覚えていないほうがいいな、と思いますね。それより、忘れてもらったほうがいいですよね。あまりいい思い出ではないので。退院の日などに、その患者さんにたまたまお会いして、ご家族は『あっ先生!その節は』とおっしゃるんですが、患者さんからは『あまり覚えてないわ』とよく言われます。でも、そう言っていただいたほうが、良かったなと思いますよ。『辛かったわ』と言われたら、こっちも辛い。だいたい生死をさまよっている方が多いので、実際、憶えてない方が多いんですよ。また、手術の後って、実は痛いのですが、そうした痛みも覚えてないほうがいいと思いますね」

 

―しかし、それって、寂しくはないですか?―

 

「寂しい?う~ん、どうかな?まぁ、良かったなぁと、自分で思っている自己満足でいいかな。だって『ありがとうございました』と言われると・・・何と言うか、その・・・気恥ずかしいじゃないですか。あっ、この人、退院されただな。良かった、良かったと、一人、陰で思っているので十分ですよ。それが、自分の性格にあっていると思いますね」

 

最後まで謙虚なI先生だったのでした。

  

 

一般病棟の時の話なんですけど・・・」

 

そう話し始めたのが、今回の「語り人」。集中治療室で10年以上のキャリアを持つ看護師です。それも「集中ケア認定看護師」と言う集中治療の分野で水準の高い看護を実践できると認められた看護師。この資格を持つ看護師の方は全国でも1000名ほどしか、まだおられません。お名前は、仮にS吾さんとしておきましょう。そう、男性です。日本で看護師の資格を持つ人の総数は約115万人。しかし、そのうち男性はと言うと、僅か7%余り。まだまだ女性職場のイメージがあります。一方S吾さんはと言うと、身長こそ決して高い方ではありませんが、肩幅も胸板も広く分厚いスポーツマンタイプ。実際、スキーやスノーボード、登山が趣味と言うアウトドア派です。

 

なぜ、そんなS吾さんが、看護師を目指したかと言うと、実は、この「アウトドア派」と言うのが、大きな理由だったのです。

 

「本当は山岳警備隊になりたかったんです。看護師とは、全然イメージが違うんでしょ」

 

そう言って、S吾さんは、頭を掻きました。そして、こう続けました。

 

「高校時代からスノーボードをやっていて、雪山にはよく行ってたんです。山が好きだったので、これを仕事に出来ればいいなぁ、と。でも、あれって、山岳警備隊って、警察の部隊なんですよ。高校卒業後に受けようかと思ったんですが、やっぱり無理かもしれないなぁ、と思って。そこで、まずはライセンスを取ってから受験したほうが有利かなと思い始めたころに、ナースだった姉に、じゃあ看護学校に行ってみたらと言われて、それで、行ったという感じですかね。で、結局は、学校を卒業したら、そのまま病院に就職してしまった、と言うことですよ」

 

と、再び頭を掻かれました。

 さて、話が少しそれましたが、S吾さんの冒頭の一言に戻りましょう。

 

一般病棟の時の話なんですけど・・・」

 

そうです。既に10年もの集中治療室でのキャリアを持つS吾さんですが、今から話されるエピソードが、彼の原点とも言える体験だったのです。

 

「肺がんの患者さんが、長いこと入院されていました。長いこと入院されると、家族さんとも仲良くなってね。患者さんの奥さんとも親しくなって、お子さんの話とかは、よくしてましたね。また、ちょうどその頃、自分の子どもも生まれたので、そんな話をしたら、奥さんが小さなプレゼントを下さったりして、そんな間柄にまでなりました。ある日、その患者さんが、夕方から、少し辛そうになってこられたんです。患者さんの容体を示す数値に“血中酸素飽和度”と言うのがあると言うのは、お聞きになったかともあるかと。簡単に言うと血液中にどの程度の酸素が含まれているかを示すものです。これが、下がってくると容体が悪化してきていることが推測されるんですが、その時はあんまり変わっていなかったので、奥さんが『今晩は帰っても大丈夫ですか?』と尋ねられた際に、ボクは、呼吸はしんどそうですけど、まだ意識もあるし、酸素飽和度も大丈夫ですし、今晩は大丈夫じゃないですか、と申し上げたんです。でも、その夜に、お亡くなりになられて・・・結局、奥さんは、ご主人の死に目に会えなかったんですよ。ボクの一言で、ご主人の最期の晩にご夫婦で一緒に過ごさせてあげることが出来なかったんですよ。もう、めちゃくちゃ悔いが残りましたね。奥さんには、ボクの一言で、ご主人の死に目に会うことが出来ず、本当に申し訳なかったです、と言うのがやっとで。

 

でも、奥さんは『いやいや、これまで、ここまでやってくれて、ありがとうございました。主人も感謝しているはずです』とは言って下さったんですが、それじゃぁ、ダメなんです。

 

患者さんの呼吸数は、それまでに比べると、明らかに変わっていて、呼吸の仕方も、顎を使ってするように、明らかに変わっていたんですよ」

 

―でも、データには変化は見られなかったのですよね?-

 

 「そうです。データは変わっていなかった。でも、ボクにはまだその時には知識がなかった。データに固執していたんですよね。データに変化がない。だから、大丈夫だと。しかし、それは違った。ボクには、先を見る力がなかったんです。ボクは、それを凄く後悔しましたね」

 

そんなS吾さんが、集中治療室に本格的に配属されたのは看護師になって5年目でした。最早、もちろん新人ではありません。一定のキャリアを積んだ看護師です。しかし、集中治療室は、勝手が全く違ったのです。

 

「毎日、ワキ汗をダラダラかいて仕事をしていました。大変でした。一般病棟で働いている時と比べると、集中治療室内で動く距離って、すごく短いんですよね。それは、一般病棟と違って、集中治療室では、目の前に患者さんがおられるから。動く範囲は狭いのに、仕事が終わるとむちゃくちゃ疲れているんです。いや、身体はほとんど、疲れていない。当時の集中治療室には10床あって、そのうちの23床の患者さんは、子どもでした。ですから、抱きかかえるのも、大人の大きな患者さんを抱きかかえるのに比べたら楽なんですけどね、毎日、疲弊していましたね」

 

―そうですよね。お子さんの患者も大人の患者さんも一度に診る、と言うのも、なかなか一般病棟では見ることが出来ない光景ですよね?-

 

「そうなんです。患者の年齢もまちまち。また、病棟であれば「〇〇科」病棟と言うのが決まっていますよね。それがここには全くない。患部が頭の方、心臓の方、肺の方と様々で、病院に産婦人科もあれば、時に妊婦さんも運ばれてくる訳ですよ。一般病棟ではありえませんよね。そこでナースも、幅広い専門性が必要になってくるわけです」

 

―そして、何と言っても違うのが、ベッドの横にズラリと並べられた医療機器の多さですよね?―

 

「人工呼吸器に透析の機械、さらに人工心肺と言われる対外循環装置など、こんな機械を一般病棟の看護師さんはまず、触りません。

 

また、一般病棟では、こんなに管だらけの患者さんも見ません。患者の皆さんは、そうした管が外れてから一般病棟に戻るので、看護師さんの多くは、こんな管だらけの患者さんを見たことがないんです。また、集中治療室では、常に何がしかの音が聞こえていますが、経験の無い看護師には、何の音かもわからない。突然、警告音のようなものが鳴っても、どうしたらいいか、分からないんですよ。しかし、集中治療室にいる患者さんは基本重症な方ばかりなので、余備力がない。それだけに、対応が遅れると、命の危険にさらされます。もちろん、それは看護師も分かっていますから、もの凄くストレスになってナーバスになり、皆『一般病棟に早く戻りたい』と言うんです。例えば10年間一般病棟を経験してきたナースであっても、集中治療室に配属されると、当初は自分の出来なさを痛感すると言うんです。集中治療室は、一般病棟とは全然違う。それほど、ストレスフルな環境だと言えると思います」

 

S吾さんは、集中治療室をこうたとえます。

 

「非日常的で、まるで宇宙に来た感じがします」

 

しかし、この非日常的な環境は、実は、患者たちにとっても、好ましいものではありません。集中治療室には、今、こんな課題があることをご紹介いただきました。

 

「集中治療室で、今、問題になっているのは集中治療室から出た後のことなんですね」

 

―集中治療室を出た“後”が問題?―

  

「そうなんです。昔は、集中治療室で亡くなる患者さんも多かったので、いかにこの集中治療室で“救う”かが課題でした。しかし今は、医療の進歩とともに救命率と言うのがもの凄く上がっていて、課題となるのは、集中治療室を退室した後の患者さん状態をいかに良くするかと言うことなんですね。集中治療室は退室出来たが、筋力が落ちたままで社会復帰出来ないとか、認知機能障害とかが残って、社会復帰出来ないとか、これを、今、PICSと医療関係者は呼び、非常に問題視しています。“ポストインテンシブケアシンドローム”“集中治療後症候群”と訳されています」

 

―“集中治療後症候群”?具体的な例を挙げていただくとすると―

 

「例えば、“せん妄”と言う言葉を聞かれたことがあると思います。一時的にボケることを言います。実際、50歳代の働き盛りのサラリーマンの方が、心筋梗塞で来て、集中治療室で治療を受けておられた。しかし、突然、点滴を引きちぎって、『何かが、飛んでくる』とか『壁を、何かが這っている』とか、そう言うことを言い出すんですよね。いわゆる幻視、幻覚。翌日になれば戻る人が多いですが、何日も続く人もいます。それって、先ほど申し上げた集中治療室の非日常的な環境が成せる技なんですよね。集中治療室は夜も暗くならないし、常に音もピッピッピッ鳴っている。また時にはカンカンカンカン、人工呼吸器のアラームが鳴る。患者さんご本人には、様々な管類が装着され、横も向けない。そんな中で、数日間過ごしていると、人間誰しも、メンタル的に来ますよね。そもそも、何処にいるのか分からなくなってくる。また、光のあまり入らない集中治療室の場合、今、何時かが分からない。患者さんの体内時計も狂ってきますよ。こうした「せん妄」を発症した患者さんって、日常生活に戻った場合も、“認知機能障害”が残りやすいと言われていて、特にご高齢の方が、それが残るんですよ。こうしたことにならないように、我々は、患者の皆さんが集中治療室におられる時からケアをしていかねばならないと言う訳です」

 

―具体的なケアの方法は?―

 

「いかに、少しでも日常生活に近い環境を提供するか、なんですよね」

 

―とは言え、患者の皆さんは、ベッドに寝かされているだけではないですか?―

 

「そうですね。患者さんにとっては、やっぱり、ベットが、ベットこそが生活の場で、衣食住、すべてがそこで行われています」

 

―では、ベットでどうやって日常生活に近い環境を作り出すのですか?―

 

「まず、患者さんが家で使っていたものを持ってきてもらうんです。さらに、時計やカレンダーを置いて、常に日付や時間の感覚を持ってもらうようにするんですね。それから、集中治療室の患者さんは、だいたい人工呼吸器が口から繋がれている。最初、麻酔から覚めると、間違いなく違和感あるので、抜こうとする。しかし、我々は、お口にチューブが入っているので抜かないで下さいね、と注意をする。一方、患者さんの方は、事態をまだまだ理解されておられないので『なんやねん』とか『どういうことや』と思いますよ。そこで、大きな鏡を用意するんですよ。そして、全身を見せてあげるんですよ。今、こう言う状態なんですよ、と。こうなっているから、これ抜いてしまうと危ないです、と伝える。まずは、オリエンテーションみたいな感じですかね。凄い重症な患者さんが運ばれてきて目が覚めても、どこにいるのか、そして、なぜ、そこにいるか分からない。だいたいそう言う場合は手もベッドに括られている。動けない。そこで、暴れる。暴れると看護師は嫌がるんですよね。そこで、鎮静剤を入れる。目覚めたら、また暴れる。なので、また鎮静剤を入れる。かつては、その繰り返しが多かったと思いますよ。しかし、今は、しっかり説明をして、理解もしてもらって、出来ることは、やってもらうと言うことですね」

 

―重症患者さんにも、出来ることって?―

 

「例えば、歯磨きとかも、口にチューブが入っていても出来るようにしてもらうんです。自分でやってもらうことで、自分は出来るんだと言う“自己効力”をあげる。こうやって自分でやってもらうことが、「せん妄」を防ぐことに繋がるんです。看護師だからやりますよ、寝ておいて下さい、ではなくて、『何でこんなこと、やらなあかんねん』と患者さんが思われたとしても、出来ることはしてもらいます。髭もそってもらったりします。座ることが出来る人は座らせます、たとえ人工呼吸器付いていてもね。また、歩ける人は歩かせますし。テレビも見たりしていただきますよ。それが必要だからです。ずっと寝かせていることの弊害もあるからです。早期の社会復帰に繋がるのはどちらなのかを、常に考えておかねばならないのです。かつて集中治療室におられたベテラン師長に聞くと、『昔と比べると、今は全然違う。昔は、皆、寝ていた。寝かしつけていた。人工呼吸器を付けている患者は、意識を皆、無くしていたものです』と言うことですから隔世の感がありますよね」

 

―我々からすると、集中治療室では、皆さん、眠っている、眠らされているイメージがあります―

 

「いやいや。人工呼吸器を付けている患者さんもテレビ見ていて、ナースコールとかもしてきますよ」

 

―しかし、患者さんには眠っておいてもらった方が、楽でしょ?―

 

「そのとおり、なんですよ!絶対そうなんですよ。ナースコールなどは明かに増えるので、全然看護師の対応は変わってきます。正直に言うと、大変。しかしね、しかし、やはり早く退室してもらって、患者さんの予後をよくするためには、やはり、こうした環境作りが必要だと思いますね」

 

ストレスフルな環境で、さらに、かつてに比べると格段に増えたナースの作業。まさに苛酷な職場で、何故、そこまで頑張り続けることが出来るのでしょうか?

 

「そうですね・・・」

 

と言った後、少し考える時間を取った後、S吾さんは、こう話し出しました。

 

「今は、まだ、やる人間が少ないから、と言うことでしょうか。今は、自分がやるしかないと思うからですよね。こんな話をしていいのか・・・今、我が国の医療には地域格差が残念ながらあります。あの病院に運ばれた患者さんは助かっても、こっちの病院に運ばれた同じような症状の患者さんは、残念ながら亡くなると言うケースは大いにある。では、うちの病院はどうなんだ、と思うわけですよね。患者さんが運ばれた際に、ハッピーになって退院してもらえるようになるためには、今、与えられた立ち場で、今、やるだけのことをやっていかねばならないのではと思うから、ですかね。ここで頑張れるのは」

 

医療従事者の多くに、この使命感がある限り、日本の医療はまだまだ大丈夫だと思えました。

さて、最後に、一般病棟の看護師と、集中治療室の看護師では、何が一番違うかをお聞きしました。

 

「一般病棟の患者さんとICUに入っている患者さんとは、根本的に臓器障害が起こっている割合が全然違うんで、余備力と言うのが全く違いますよね。ICUの患者さんには、その余備力が乏しい。何かあれば、急激に悪くなる場合がありうる。それだけに、今後この患者さんが、どう言う推移を辿るのかと言うのを予測する能力が、絶対必要だと思いますよ。いっぱい心電図とかが付いているから、常時ピッピッピッと数値がいっぱい出ているので安心なところもあるんですが、そのたくさん出ている数値から今、何が考えられるかを読み取る能力と言うのが、必要ですよね。また、この患者さんが、今、なぜこうなっているか、その経緯を読む解く能力も必要です」

 

―まさに、冒頭の苦い経験からも得られたものなんですね?―

 

「そうですね。全てが繋がっている気がします」

 

―しかし、読み取る力、読み解く力を得るにはどうすればよいのでしょうか?―

 

「患者さんの“全体像”を見ること、ですかね。患者さんは、集中治療室には、病名を付けられて運ばれてきますが、多くの方々は、入院して間もない状態なので、他にも別の疾患を抱えているかもしれないなのです。例えば、脳梗塞と言う病名がついて送られてきた。だから、脳のCTを撮る。しかし、その脳梗塞の原因が、大動脈解離だったと言うこともあるんですよ。いかに全身を見ていくか、なんですよね。一つの臓器だけに注目してやっていると、やっていけない。全身は、繋がっているのですから」

 

S吾さんは、熱くそう語りました。確かに、集中治療室での看護師の重要性は、ひと際、高いものがありそうです。

 

「病院によっては、集中治療医がいる病院といない病院があって、まだまだいない病院が多いじゃないですか。そうなると、どの状態になった時にドクターに相談するかと言うのは、看護師の采配によって決まるんですよ。看護師がこれは異常だと気付いてくれない限りは、それは見逃されてしまうんですよ。なので、異常を見抜く力と言うのは、集中治療室のナースの場合は、確かに非常に必要だと思いますね。ナースが、患者さんの一番近いところにいる。ナースが最前線なんです。ナースが集中治療室のキーパーソンであると言う、自負は、大いに持っています」

 

そう言って、S吾さんは胸を張りました。 

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